匿名という名の 落とし穴
インターネットの世界は基本は匿名である。
この基本というところが怖い。
これは分からないけど、調べようとすると調べられてしまうからである。
犯罪などは瞬時に調べられてしまい分かってしまうそうだ。
酷い誹謗中傷なども、後から調べて証拠となるそうだ。
匿名で色々とこれから書きたいと思うのだが
当然ながら発言や内容などは、各々で責任を持たなければならない。
人を傷つけることや否定する事柄など書くつもりはない。
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しかし、冷静に考えると当たり前のことではなかろうか?
匿名であろうがなかろうが、大抵の責任は生じる。
ネットだから・・・リアルだから・・・
そもそも、どっちもリアルなんですけどね。
別に改めて言うことでもないけど意識しなければならないことである。
目の前にいないだけで、容易に人に対してリスペクトがない事を行うと
それは回りまわって必ず自分へと矛先が向かう事があると思うのです。
当たり前なのですがねぇ。
この文章で何が言いたいのかと言うと、これからブログを書くことにあたって
個人名や行っている内容の事について、私自身話したいのだけど調べられたくない。
つまり自分のことを書きたいのだが調べられたくないのだ。
ただ、知られたいという非常に子供じみた考えであるのです。
「 やましい事をしているのか? 」と、言われると全く違う。
恥ずかしいだけなのである。
日本人は恥ずかしがり屋だと言われるが、その恥ずかしいとは少し違うような気がする。
大々的に見せたいかと言うとそうではないことはわかるのだが
わかってくださいと懇願して言う気はさらさらない。
それでいて見て見てというつもりはないけど、一切遮断したいというつもりもない。
「 思春期か? 」と言われそうだが、そんなものはとっくに過ぎたオッサンである。
雑記ブログは読まれないと言われるが、読まれないからと言って下手なことも書けない。
それは前の文でも記したので、十分に理解しているつもりである。
後世に残したいというのが、この行動を生んでいるのだと思うのである。
しかしこれを自分のホームページに貼り付けてしまうと、一瞬で本人と紐付いてしまう。
「 書きたいのだが、自身を知られたくない 」けれど
「 見て欲しいのだが、そこを超えて知らないで欲しい。 」
と、このジレンマと葛藤の塊が、このブログを生み出した。
インターネットと言うものは、この矛盾とジレンマを解決した。
文章を書くのが楽しく好きなのであろうと理解が欲しい。
言葉遊びのようだが 真剣な内情である。