課金をすると、どうなる!?

課金しない理由

この世には全く同じ物でも、時代で名が変化する。

昔々の事じゃった。

ある少年は一日中ゲームをしており

気が付いたら、三日過ぎていた事もあったそうじゃ。

今の時代、アプリと言うものが存在する。

あるという認識できるが、現実手元には一切ないその【 塊 】は

持っているパソコンやスマホの画面の中にだけ存在する。

その他にもソフトなどがあり、無料が基本となったりしていて

さらにお金を出すと無料では出来なかった機能が解禁され

購入者がその欲しがっているソフト等の知識と技術の【 塊 】を

一時的、又は半永久的に手にすることが出来る。

 

現金を持ち、意気揚々と店に入って「 これください。 」

店員さん「 はい、いくらですよ。」 こんなやり取りは確実に減った。

 

休日に椅子に座りながら机のキーボードを叩いて欲しい商品を検索する。

画面の商品紹介のページを読み飛ばすことなく眺め

「 コレが欲しい 」と決めると店には全く向かわない。

店に向かうどころか、家を一歩も出る事はない。

欲しい商品をとりあえず検索しなおす。

そこに書いてある値段の、「 より低い場所 」を求め

妥協点を見つけて、もう一度本当にこれで良いのかと悩み、その場で決済する。

 

現金を持つことはおろか、家から出ることもない。

 

そうしたことをしているうちに仕事で使うソフトなども

全く手元に商品がない状態で向こうの会社と契約し

その商品を買いましたという証明だけを互いに取り付け

自分のパソコンの中に取り込んだ後、それを使用する。

 

便利な世の中になったのだが、何年も前に誰が予測しただろうか?

 

そしてゲームに至っては買う時に、一回お金を出せば終了という形は変わった。

買ってからひたすら時間をかけて、ゲームの主人公を己に見立て育てていくのだが

その中で世の中の同じゲームをしている人間と何らかで競わせることによって

我先に自分の方が、後より良いものを求めるために時間でなく

それなりの対価を支払うことによって延々と満足感が得られるようになった。

 

つまりお金で、いい武器や戦況、状態が好転し他の人より有利に進められるのだ。

 

こういった状況を否定しているのではない。

むしろ大賛成である。

もっともっと企業は儲けを出して、世にさらなる貢献をし

買った人は支払った対価と、手にした状況を喜び大いに楽しむ。

両者はよい関係を作れる形なのである。

 

で、何が言いたいかと言うと、私は課金をしたことがない。

 

なぜかと言うのは簡単である。

それほどに気持ちもなく、貧乏も加担するからである。

 

それほどに高くないよと、言われそうだが 人によってその価値は異なる。

昔の考えの人間なので、やはり時間をかけてじっくりと進めたいのである。

お金をかけてレベルが上げ、強い武器を手にするのに納得できない自分がいる。

 

そもそもクリアしたいのであれば、お金を払うとエンディングで良いのではと。

 

しかし課金してる人はこう思うのであろう。

「 単純にクリアしたいだけじゃないんだ。 」

書いていて私も違うと思い、上記意見に同意した。

 

私のゲームに向き合う姿はこうだ。

ちょこちょこの時間を使い、レベルを上げそのゲームと戯れたい。

でも、そんな時代ではない感じでもある。

 

ゲームによって時間をかけるだけでは、一切許してくれないゲームもある。

時間をかけた上で、さらに他のキャラと課金したアイテムを使い

上のランクに行き、その中でも更に優劣を分けたクラスに別れる。

それがいいとか悪いとかではなく、窮屈で違和感を感じるのは私だけであろうか。

それともゲームの中でも、資本主義社会になっているのが嫌なのだろうか?

 

ゲームを売ることで成り立った時代が、途中の課金を重点に置く経営にすると

数を売って、その中の何%かのユーザーに課金を促し、会社を維持発展させていく。

出来る限り一つのゲームを引っ張りながら、より課金してもらう方へサービスが始まる。

途中で飽きられたら終わりで、課金はその後してもらえず、そのゲームは消え行く。

 

でも、ここで考えた。

 

冷静に考えると、昔なら売り切ってしまい売れなければアウトである。

どんどん売れてしまえば、大きなビルが建つような時代であった。

どちらがいいのだろうかと考えたが、どちらも間違っていない。

時代が違うだけで、環境が許せば私の時代もそうなっていただろう。

 

考えを固めず巡らせると、時代は着々と変わり

色々なものが進化していくのだなぁと改めて感じる。

 

ここで問題なのは、途中に買ったアイテムは会社が消えると同時に消える。

その会社が消えなくとも、そのゲームが終わればアイテムも当然である。

仕方ないと言われ、使う権利を買ったと言われれば仕方ないのだが

納得できるかと言われると、「 できます! 」と元気よく答える人が

課金をして、そのゲームにのめり込むのであるかが疑問である。

 

「 時代の流れで仕方がない 」と言われればそうなのかもしれないが

あまりに従順すぎて、今までの労力と金銭はと聞きたくなる。

 

● 最初からゲームが手元にないのは時代の流れで納得できる。

『 むしろ無くすことが無いので便利だと思う 』

 

● ゲームを買い、それに時間を費やすのも納得できる。

 『 その事にお金を払っていると言っても過言ではない 

 

● 途中色々とアイテムの購入を決めて物語を進める。

 『 これも人それぞれに無理なくすれば良い 

 

● 会社がその課金額と、維持費の割に合わなくなったので

  そのサービス又は、ゲーム自体が消滅してしまう。

 

『 コレが納得いかない 

 

これの理不尽さに、無意識にどこかで気が付いていたのだろう。

これが課金をしないと、どこかで線を引いていたのだと思った。

 

時代についていけないのでなく、ついて行くと駄目ではと思う。

いまだに課金システムというものを、頑なに取り入れない男がここにいる。

刹那に燃え尽きる事が出来ない、寒々しい男と思われてもやはり曲げれない。

 

まぁ、それほどに熱量をあげてゲームをやっているわけはない。

何故、ゲームなどに熱くなれなくなったんだろうと

色々と考えていて、書き記していく途中でこの話が書けただけである。

 

この事実を理解した後、何のゲームを見たとしても

重要なアイテム紹介欄を見て、目を輝かせて

「 このアイテムが欲しいぃぃぃ!!! 」って思考ではなく

「 課金するとこれが使えるようになるんだね。すごいなぁ 」

という、どこか遠くから品物を確認し場を冷めさせるだけの人間となった。

 

目の色を変えて、それに課金をし手に入れて喜ぶ日はもうないのだろう。

これが大人になるということなら、少々寂しいことなのかもしれない。

 

どれだけ安くとも、今後娯楽で課金しない気がする。

 

こうなるといかに課金をせずに、楽しむだけって事になる。

私のような考えが、今後蔓延しない事を祈っている。

経済的にもそれは望まない。

 

課金する人を貶めている訳ではない。

課金しない人を褒め称えてるわけでもない。

 

私の考えを書いたブログなので、これで完結となる。

多分私はゲームを一番、楽しんでいると自負している。

 

・・・・・・

 

昔と違って、途中で全くやらなくなるけど。

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