スマホと言う名の素晴らしきアイテム

スマホと言う名の素晴らしきアイテム

スマートフォンと言う名の素晴らしきアイテム。

 

このスマホというシステム考えた人を常に尊敬する。

かの有名なスティーブジョブズである。

この発明は本当に世界を変えたと思う。

世界を変えるということは、日々の生活をも変えるということである。

そしてそれに追随するが如く、色々なシステムが変わっていく。

今は、持ってない人を探す方が難しいのではないだろうか?

 

そして時代が進み、何事も「 自動化 」が進んだ。

 

そして音声認識というシステムを考えた人がいる。

この音声認識システムというのを、私はかなり前から欲していた。

正直に言うと四半世紀以上も前に欲しかった人間である。

 

欲しいものが分かっていて、こうなればいいのにと思っていて

しかしそれを作ろうと思わず、できないと信じ込んでいた。

そんな便利な事が出来るわけがないと信じ切っていた。

時代はさらに進む。

それが今は高精度のレベルを越え、ひょっとすると

私の考えを全て知っているのではないだろうかという

異次元の様なレベルで、音声認識は私の言語を解読してくる。

https://youtu.be/RNUt59FlE_M

実はこのブログは、私の寝床で書いている。

 

寝っ転がっているのだ。

隣には家族が寝て居るので、大きな声はご法度だ。

スマホのマイクに口を近づけて、本当に「 ボソボソ・・・ 」と

音にならない音量で、スマホに自分の考えを託す。

大抵の認識は行われ、適切な漢字を交えて私を喜ばせてくれる。

そのデータを一旦放置し、次の日にでもそれを呼び出して

パソコンの前で、言い回しや不足部分を少しだけ手直しをする。

それだけで、ブログが一本仕上がってしまう。

 

もっとコレが昔に手元にあってくれたらなぁと

今現在、初めてブログを書かれた方などは幸せだなぁと。

文章や話などが、出てこなくて書けないのではなく

パソコンの前で手が動かない事でイラついた事は本当に何度もある。

 

ブラインドタッチが身についた時は本当に嬉しかった。

 

たいてい色々なことを話をして、一本にまとめると

2000文字ぐらいの文字数を、喋っていると言う事となる。

そこから文字を足したり、削ったりしながら一本を仕上げる。

 

これから先もっと時代が進めば、音声自体を一日中拾うことが出来ると思う。

もちろん一日中拾う事は、今現在も技術的には可能である。

しかしその内容の、重要視するところを抜き出す事は

内容覚えているか、聞いて知るかをせねばならず、時間的に非常に難しい。

1日録音して、1日聞くと当然だが2日目は無い。

出来ない事はないが出来れば、そこら辺も機械任せと思うのが普通だろう。

 

これからもっと AIが発達するだろう。

 

ここで非常に恐怖が襲ってくる。

 

1日中話したことを文字に起こす。 ここは今でも可能である。

それらの重要なところを聞き抜き出す。 ここは今でも可能である。

それらを要点にまとめる。  ここは今でも可能である。

それを面白おかしく脚色する。 ここは今でも可能である。

それらを発表して評価を得る。 ここは今でも可能である。

 

では、何が恐怖なんだと思われそうだ。

これら全てを AIが、休みなく行ってしまったらどうするだろうか?

 

私たちの話していることを、常にAIは学習しているのだ。

その学習時間は休息する人とは違い、1日中24時間丸々である。

 

そして全てを終わらせて出力してくる。

私たちが1日話した事の、色々重要なところを抜き出してくるのだ。

そしてまとめるのは愚か、面白おかしく脚色までする。

ここまでなら、特に想像の域を超えないとおもうのだ。

しかも、いつもしている脚色の形まで学習する。

あなたの好きな形を覚え、学習をして導き出せるのだ。

 

あなたの分身の出来上がりです。

 

これ正直、怖くありません?

例えばAIが、この先に何もかもを進めて

あなたは発表までしゃべり続けるだけで

全ての作業を終える事が出来るとしたらどうなるだろう。

 

いやきっと、今でも出来ると思うのだ。

多分誰か、やってるんだと思う。

私が思いつく程度なので、これは絶対可能だ。

全てを自動で録音して、文字を起こすなど簡単だ。

 

すでに十分恐怖なのだが、この先はこれを上回る。

 

もしその学習したAIが、私などの張本人の知らぬところで

私になりすまし、延々と私の主義趣向や情報を発表し続け

それが称賛される結果となるなら、まだ幾分救われるかもしれない。

それがこの世にとって、好ましくない話だったらどうしようと思う。

 

賞賛されていると言っても、救われるというのは発表の場だけである。

考えもせず推敲すらしたことがなかった内容が、自分の名で発表される。

勝手にのし上がれると喜ぶのは、あまりにも早計すぎるのだ。

その後に内容について、詳しく突っ込まれた時に全く回答できない。

 

そしてその正反対だと、さらに地獄なのである。

何もしていないのだが、頭の中を覗かれ、それを文字にされ発表されるのだ。

内面から出た言葉に対して、取り繕った言葉で押さえつけれる事は無いだろう。

その時には謝罪しても、すでにあなたは全く人に届かない事となる。

 

そう思うと私は、AIという存在が使っていいものかと疑問に思う。

と、言い続けているこのブログ

そのAIにより、話途中に改行の為のエンターキーしか押すことなく

この長い文章を書き綴っているのである。

 

このまま人間はAIを使い続けるのが正解なのか?

そういうことは、やはり未来でしか分からない。

ただ信用するのは良いが、信頼までしてはいけないのではと

そうではないかと、本当に危惧するのである。

 

まぁ、ほんと便利になりましたね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA