最後のピース

最後のピース

年に何度か、色々な物を買う事はあるかと思う。

しかし結局は使わなくなってしまったりするアイテムがある。

その時使うと思って購入するのだが、案外と使いにくいものであったり

使っていたのだがより良い物が出たり、趣向の違った形の物があったりして

使ってみると意外に良いことを感じ、そちらの方に気持ちが行ってしまったりする。

そうして手にはしたが、色々な形をへて使い続ける物がある反面

棚などの奥底へと眠りについてしまうアイテムがあったりする。

良いものは色々とあり、気軽なものや簡単に物事を進めることが出来て

それでいて、いまより一層に楽できるものに傾倒するのは人間仕方がない。

それを責める事は出来ないし、そうする事で考えを推し進める事は出来ると幸せである。

 

その進んだ話の事をしたいのではないのです。

 

そのまま年月が過ぎ、ふと「 これって何か有ったよなぁ・・・。 」と

その時に丁度都合の良いアイテムが記憶に残っており

棚にしまい込んだあのアイテムがあればいいんじゃないかなと

使い方とサイズ感を思い出したりしながら探したりすることがある。

 

そうして棚の奥から引っ張り出してきて、ぴったりと言うアイテムがある。

 

当時、手にした時点では想像した使用用途とは少しだけ異なり、使いにくさの方が勝り

眠りについたが、年月を経てベストな環境になるとはと驚くことがある。

そのアイテムは、今はさらにバージョンアップして売られていることがある。

ただそのバージョンアップした物を買わずとも、今ある物を気兼ねなく使い込む事により

その目の前の問題を非常に良い具合に越えれる事があったりする。

そして気兼ねなく使った後、バージョンアップしたアイテムを手にして

さらなる効率化を図れて先へと進む事が出来る事がある。

 

「 物が増えすぎると困る事が多く、一旦処分しなさい 」と

色々な本で読み、それはそうかもと納得することはある。

ただ納得するが、これを実行するのは時に考えるのも良いかもしれない。

 

捨てる事で得る事もあれば、残すことで得る物もあると思う。

 

大昔の記憶にあるのだが 「 いつか使うんじゃないか? 」と

大切にしまっていた貴重なオモチャは、次見た時は懐かしさしかないだろう。

貴重という意味は時代を経て変わり、使用する事はまずは無いだろう。

「 なぜ置いていたのだろう。」と、最後は処分したりする。

 

ただ年齢を重ね年月が経った今、考えと行動が同じところを回ってる時がある。

何年も前に同じ事を未だに行っていて、更に効率化を図りたい事もある。

年月が経つ事によって、更なるブラッシュアップはされているのだが

自分のスキルが進んでおり、物に頼り切らなくても乗り越えれる事がある。

そうして当時、事足りなかったツールが、年月を経て手になじむ事がある。

 

「 それは良かった。で、それは何なんだ 」と聞きたいと思われるだろう。

 

全く覚えてないのである。

オチがいい加減すぎて怒られそうである。

 

その時気づいて棚の奥から引っ張り出し

それを使って 「 あー丁度だ!! 」と喜び

過去の自分を褒め称え、納得し大喜びで使い始める。

 

その使っているツールなのだが思い出せないのである。

 

その時にフィットした感触だけが、鮮明に残っておりその後は日常と化し

今ではそれは何だったのか、もう一度自分自身が知りたいぐらいである。

確実に今も使っている筈なのである。

 

因みにまだ、正常だと自覚はしている。

 

その時のパズルの最後のピースがハマった時の様な感動と

「 迷ったが残しておいて良かった! 」という喜びだけが残っており

そのものが何だったのか、今はさっぱりと覚えていないのである。

 

有り余るものや、使わなくなったものを一旦捨てて

また、必要な時に買い足せば良いという考え方もある。

それも真実であるし、否定するつもりは全くありません。

 

しかし眠らせた道具の価値が、その後の自分の進んだ道の

見立てに間違っていなかった事に気づいた時の喜びはこの上無いのです。

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